鍵の壊れた部屋≪十月五日≫ ―壱―とにかく、日陰の寒さといったら強烈だ。 特に朝の冷え込みには、格別なものがある。 相部屋のドイツ人は、今日トルコを発つとかで、朝早く起き出して、荷物の整理をし始めた。 その音に目が覚めてしまった。 俺 「勘弁してよ。疲れてるってのに・・・。」 彼らは、イスタンブールまで、汽車で二日(48時間)かけて走り、イスタンブールから飛行機で、ドイツまで飛ぶと言う。 日本だと、新幹線で二日だと、日本を飛び出しちゃうかもな。 それだけ、ここエルズラムからイスタンブールまで、遠いと言う事か。 ドイツ人「とにかく、ワイフがうるさくて、早く帰らないとね。」 両手の人差し指を一杯に伸ばして、頭の両側にくっつけて見せる。 鬼と言う事らしい。 これは、日本と同じだと感心してしまった。 ドイツ人二人が、部屋を出たのが九時過ぎ。 陽射しは、カーテンで遮られているが、外はもう明るくなっているようだ。 早速ベッドから起き出して、バス・オフィスへ向かう。 ホテルのすぐ斜め前にある、バス・オフィスに入ると、大きな机の前に、トルコ人のお兄さんがデーンと座って、こちらを見ている。 まるで、オフィスではなく、暴力団事務所かと見間違うほど、おっかなそうなお兄さんが、ニッコリ笑った。 お兄さん「バスは無いよ。朝早くから出たからな。」 俺 「次は、いつなの?」 お兄さん「明日の午後3時だ。」 ガックリ来て、オフィスを後にする。 * 軽い昼食を、例のオムレツ屋で食べて、ホテルに戻る。 廊下でマスターに出会うと、すぐルームキーを渡してくれた。 昨晩ひつこく、部屋のキーについて、言っておいたおかげかなと思い、部屋の鍵にキーを差し込むと、なんとキーを回さないのに、ドアが勝手に開いたではないか。 まさかと思い、もう一度ドアを閉めて、鍵をかけてドアを押してみる。 な、な、なんと。 ドアは勝手に開くではないか。 マスターは、”おかしいな・・・・?”と言った顔で、俺の手から鍵を奪うと、テーブルの引き出しを開けて、何十と言う鍵をガチャガチャと、かき回し始めたではないか。 俺 「もういいよ!結局鍵・・・無いんだろ!」 マスター「・・・・・・。」 俺 「探しているふり、しなくていいから。無いんなら、無いと言えば良いじゃないか。ええ!」 マスター「・・・・・・。」 俺が、部屋を借りてくれなくなるから、一芝居打った様だ。 マスターから、掛からない鍵を貰い受けると、部屋に入った。 ベッドに横たわると、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。 * 夕方の冷え込みで起こされた。 眠りすぎる・・・か。 強行軍の疲れを癒すのは、睡眠が一番だろう。 さすがに、ヨーロッパも秋が深まっているようだ。 暖かく感じられるのは、午後の数時間だけ。 ここエルズラムは、高地のせいか底冷えする。 地元の人は、みんな良く見ると、重装備で町を歩いている。 夏服の準備しかしてこなかった俺にとって、これからの旅は少々きつい旅になりそうだ。 ―秋が来た来た、秋が来た。 秋が来た来た、秋が来た。 日本の空にも、エルズラムの空にも、秋が来た。 でも、シルクロードの旅に、まだ秋は来ない。 (盗作より)― 夜は、早々とシュラフに潜り込む。 日本から持ってきた、携帯ラジオをリュックの底から取り出す。 もうここまで来ると、英語の放送が少しづつ聞けるようになってきた。 これは、旅の疲れを十分に癒してくれるから嬉しい。 ドアが開くと、マスターがまた、毛唐を二人連れて入ってきた。 マスター「ビッグ・ファミリーだ。二人ほど、この部屋に泊めてやってくれないか!」 俺 「どうぞ。」 片言の英語で、二人に話し掛けるが、言葉が通じない。 それもそのはず、二人はスペイン系の人のようだ。 一日中、何もしないでボンヤリしていると、いろんな事が頭を過ぎっていく。 もう目指す旅のほとんどを完遂したせいか、気が緩んできたみたいだ。 苦しかった旅が、走馬灯のように現れては消えていく。 つい昨日のように。 鼻と喉の調子が悪い。 どうやら、砂漠の埃と陽射しにやられたようだ。 今晩も二三回の停電がおきた。 停電の多いエルズラムの町に居る。 |